相続を財産だけで語る悲しさ

相続を財産だけで語る悲しさ先日、ある会合で、ある先輩行政書士に挨拶をしました。先輩といっても年齢は私よりかなり若く、「やり手」の雰囲気を強く漂わせている方でした。

その先生、私の名刺を見てこうおっしゃったのです。

「あぁ、先日お宅の近くで○億円の相続案件を片づけましたよ。ちょっと大変でしたけど、それなりに稼がせてもらいましたわ。」

これはちょっと極端な例かもしれませんが、相続を金額でしか語れないというのは、多くの「専門家」に共通する傾向です。

故人がどんな方で、どのような人生を歩まれたのか。家族からどれだけ愛されていたのか。地域社会からどれだけ尊敬を集めていたのか・・・

もちろん守秘義務により個人情報を語らないという理由もありますが、「専門家」の皆さんは、元々そんなことに関心がないように見えます。

介護業界に長く身を置いた私には、この感覚が不思議に思えてなりません。

最近、よくテレビや雑誌で遺言・相続の話題が取り上げられます。インターネットでも遺言・相続を語る「専門家」は数多くいます。

『財産が少なくても「争族」になります!』
『トラブル防止のために遺言を書きましょう。』

たしかにその通りです。

相続人を正確に特定し、遺留分の侵害に注意する。財産に不動産が多くて現預金が少ない場合は、代償分割や納税のために資金対策を施す。信頼できる遺言執行者を指定しておく。

これらの点に注意して遺言を書いておけば、モメる可能性は小さいでしょう。少なくとも表面的には。

しかし私は、「法的にモメない」というのは最低条件であって、それだけ考えればいいというものではないと思うのです。

法的な面で争いの余地をなくしたとしても、「なぜ私の取り分はこんなに少ないの?」とか、「オヤジは俺のことを何だと思っていたんだ!」などという気持ちばかりが相続人に残ってしまったら、悲しいではありませんか。

遺す者の心が伝わらなければ、遺産はただの「金・物」です。

遺産分割の話をする前に、故人は何を大切にして生きてきたのか、家族に対してどんな気持ちを抱いていたのか・・・

それが大事ではないでしょうか?

たとえば「家」という遺産があったとしましょう・・・

家を買った時の喜び。
家族の生活を守り、ローンを返していく大変さ。
そこで暮らした家族との思い出。
子どもが巣立って行った時の満足感と一抹の寂しさ。
遺された家族への思い。

それが伝わらなければ、家は一個の不動産にすぎません。「経済的価値」のカタマリとして、金額で評価されるだけです。

思いが伝われば、遺族の心には故人への深い「尊敬の念」が生まれるでしょう。その家は単なる「経済的価値」ではなく、故人の思い出とともに大切にされる存在になります。

どちらに持っていくかで、遺族の心の持ちようは大きく変わるはずです。

法律で封じ込めるのではなく、遺族が故人への尊敬とともに、自発的に遺言を尊重する相続にできるかどうか。

私はそこまで視野に入れて遺言や相続を考えていきたいのです。

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